ケニア人ランナーと江戸人の共通点~フィジカルを強くする食事
日本女性ヘルスケア協会長 鈴木まり
いよいよ東京オリンピックが開幕し、不安の中にありながらも中継を見ればアスリートたちの努力の結晶とその身体の力の高さに目を奪われる日々です。
一筋縄ではいかなかった今回のオリンピックはおひとりおひとりそれぞれの思いでご覧になっていることと思います。
さて、今月号では、オリンピックの見方が少しでも面白くなればと思い、アスリートの身体進化と江戸人の食生活の共通点について触れてみたいと思います。
先日ある番組を見ていた際に、世界最速のケニア人の長距離マラソン選手がなぜそんなにフィジカルに強く、誰も破ることができなかったタイムの壁を突破できたのかということが放送されていました。
フィジカル面の強さで最も注目されたのが、驚くことに筋肉ではなく「腸の働き」でした。
私たちが通常有酸素運動をする際に消費される栄養素の主は糖質であり、糖質不足の中で激しい有酸素運動をすると筋肉から糖質に代わる栄養素が溶け出して代謝されるようになっています。ですので、空腹状態での激しい有酸素運動は筋肉を痩せさせてしまいますし、有酸素運動をしないでただ糖質を過剰に摂取しては脂肪に蓄積されて肥満の原因になるわけです。
他の国の選手たちの1日の糖質摂取量を見た時に平均でカロリー全体の45%を占めていました。ところが、ケニアのマラソン選手はカロリーの75%を糖質で摂取していたのです。
その内容は、
朝と夜にはパンと甘くしたチャイティ。
お昼ご飯には、豆とじゃがいも、とうもろこしの粉をねったポテトサラダのような形状のものを沢山食べていました。
通常、私たちがこの様な食生活を送ればあっという間に太ってしまい、糖尿病のリスクも心配になってしまいます。更に、通常消化できる糖質は6〜8%と言われており、これを上回る糖質を一気に摂取してしまうと十二指腸のセンサーでブレーキがかかり、消化できずに下痢を起こしたりします。これに比べ、ケニアの選手の糖質消化力は16%と驚異的な数字を見せました。
腸の繊毛には、糖質をキャッチして吸収するトランスフォーマーがセンサーの様に点在しています。ケニア選手たちは、高糖質の食事を摂り続けることで、このトランスフォーマーの数が増加して糖質の吸収効率が上がるのではないかということが言われています。つまり、高糖質の食生活と連日の激しいトレーニングにより、カラダが多くの糖質代謝を必要とし、結果として腸のトレーニングになっていたということです。
この結果を見たときに真っ先に頭に浮かんだのが、江戸時代の日本人の食生活でした。
皆さんのご存知の通り、江戸時代の主食は、お米です。成人男性では1日5合ものお米を食べていたなどとも言われています。
おかずと言えば、少しのしょっぱい漬物と、小さな魚の干物、葉物の味噌汁なものです。
そうです。日本人はもともと高糖質食の民族なのです。
江戸時代、日本を訪れたあるドイツ人医師が、何十キロもの重い駕籠(かご)を担いで1日に何キロも走る駕籠舁(かごかき)や飛脚をみて。「なぜ肉も食べずにこの様な質素な食事でこれだけ体力があるのか」と大変驚き、駕籠舁数名に、肉食を中心にした食事を摂ってもらいながら体力測定をするという実験をしたのですが、肉食中心の実験に参加した者のほとんどが1週間ほどで「体力が持たずに疲れて仕方がないので元の食事に戻してくれ」と申し出たというエピソードがあります。 確かに消化に良い高糖質の食事から急に肉食に替えられたのでは消化に係る体力も奪われてしまいますね。
駕籠舁や飛脚も、重さに耐えられる体力とスピード勝負という、当時で言えばアスリートのような生活習慣ですよね。お米中心の高糖質食で腸のトランスフォーマーが鍛えられ、フィジカル面が強かったのが想像できます。
連日激しいトレーニングをしているアスリートにとって、更にフィジカルを強くするには、摂取した栄養素や蓄積された栄養をいかにスピーディーにエネルギーに変えていくのかというのがテーマになって来ますので、「糖質代謝力」というのは身体進化の大きな課題になってきます。
この様に見ていくと、高糖質食の方がいかにも健康に良さそうにも思えるかもしれませんが、あくまでも瞬発的なエネルギー活動に必要なのが糖質ということです。日本では肉食文化が入ってきたことで確実に寿命が延びました。長寿県で知られる沖縄の食文化を見ても、豚肉とアメリカン食での牛肉の消費量は他県に比べても大きく占めています(ちなみに、ハンバーガー消費は日本一!)。ほどよい量の良質たんぱく質は、老化を遅らせ、寿命を延ばしてくれます。
私たちが通常生活する上ではやはり栄養バランスというのは絶対的に必要なのですが、激しいトレーニングで鍛え抜かれたアスリートたちの個々の身体進化をみてみると、やはり、体質改善は日々の生活習慣で鍛えていくことが出来るのだと改めて考えさせられます。