「自分を大切にする」とはどういうことなのか。
日本女性ヘルスケア協会長 鈴木まり
つい先日、SNSのリールに
「育児ノイローゼはこうして起こる」
というタイトルで、次の様な動画が流れてきました。
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出産の時期を迎え、カラダを多方向に捩らせながら陣痛に耐える妊婦。
背中を撫でたり、励ましの声をかける2人の女性看護師。
しゃがんでみたり、椅子に座ってうっぷしてみたりするも、
痛みは増してまだまだ産まれてくる様子がなく、難産の不安がよぎる。
そこへようやく分娩台に上がり、いよいよいきみ出し、
担当医と看護師、妊婦が一丸となり新しい誕生を迎え入れる準備に追われる。
何時間もの陣痛を乗り越え、ようやく産まれてきた赤ちゃん。
出産を終えて部屋に入ってくる妊婦の家族は真っ先に赤ちゃんの顔を見に駆け寄る。
ベットに独り取り残される出産を終えた母親。
皆新しい命に夢中で、母親には見向きもしない。
そこへ漸く母親の元へ駆け寄り抱きしめたのは、夫ではなく父親でした。
父親に抱きしめられた途端、緊張がほどけて泣きじゃくる母親の姿。
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なんとも人の心理をついたリールに、深くうなずきました。
「育児ノイローゼ」
と聞くと、世間一般には
「母親の忍耐が足りない、母性が足りない、赤ちゃんは大変なのが当たり前だ」
と認識されがちだけれど、実は似ている様で異なるものだとこの動画は教えてくれます。
この様な世の中からの歪んだ認識に呑まれてしまい、当の母親も、
「自分には子育てする資格がない、母親に向かない」
なんて内向的に考えてしまう方も多いです。
しかし、そうではありません。
目の前にいる「赤ちゃん」に思わず気を取られてしまい、「赤ちゃんの存在がそうさせる」と思い込んでしまっている方は多いと思いますが、実は、母親自身(自分自身)を優先してくれる存在(またはそうだと実感させてくれる存在)がなくなることで精神の不調や大きな不安に襲われていくのです。
「自分自身を大切にする存在」が、「自分自身」だとすると、尚更ハレーションは大きくなります。
命をかけても守らなきゃいけない「子ども」という存在がいるおかげで、これまで自分自身に向けていた愛情すら、母性ホルモンの働きから、我が子に全力投球するようになるので、自分自身をケアする存在がいなくなってしまいます。
これを考えた時、日本人夫婦のほとんどが、育児期間に入ると育児参加の温度差から喧嘩が増え、関係が破綻して行ってしまいますが、実は根底には、育児参加の有無ではなく、「お互いをケアする存在の有無」が隠されているのではないでしょうか。
子育て期間中も仲の良い夫婦を見ていると、実にお互いをとても大切に労わっています。
私の叔父夫婦もそうですが、叔父はほとんど育児参加はしておりませんでしたが、80歳を過ぎた今でも妻を「ちゃん」づけで優しい声で呼び、妻が疲れた顔をしていると「肩揉もうか?」と声をかけて叔母のマッサージをする姿は子どもの頃から変わらない風景です。
「疲れてない?」や「大丈夫?」
ではなく、
「肩揉もうか?」
というのが,またいかにも女性の痒いところに手が届く完璧なフォローだと改めて思うわけです。
「大丈夫?」
などと声をかけようものなら、
「大丈夫に見えるのか!?疲れてないないわけねぇだろ!」
と思わず地雷を踏む男性は多いです。
気の強い叔母は、夫の気遣いを受け入れた後、
「パパも疲れてるから先にお風呂入ってゆっくりしておいで」
と気遣いを返します。
人がストレスを抱える時というのは、
「物理的に目の前にあるもの」
に気を取られがちですが、
「絶対的に自分を守ってくれる存在」
さえ常に実感できてさえいれば、多少大きな大変なことすら乗り越えていけるパワーを持っているものです。
「自分を大切にするとはどういうことなのか」を考えると、
結果、自分を大切に思ってくれる存在をつくるために、周りを大切にするということだと気が付きます。
まさに、「人情ひとのためならず」ですね。
周りに親戚するということが、自分を大切にするということなのです。