吉原図・春画に込められた蔦屋重三郎の想い~吉原とはなんだったのか
日本女性ヘルスケア協会長 鈴木まり
先日、現在東京藝術大学大学美術館(上野)で開催中の【大吉原展】へ足を運びました。
本開催に当たり、
「まるで遊園地の様に展示されており、女性が売られることをまるで肯定しているようだ。」
「負の歴史を覆い隠している」
などという節の意見を皮切りに、いかにも現代らしくネットでは賛否両論繰り広げられ、令和の吉原炎上となっていたことは言うまでもありません。
大吉原展のページを見ると、冒頭には
「遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。 展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。」(大吉原展HPより)とあります。
会場に入るとすぐに目に飛び込んできたのは、展示物や展示物のプロローグではなく、上記の趣旨の前置き文。
"吉原炎上"を受けて、過剰なまでに不自然に追記された本文が、逆に皮肉とも取れ、いかにも江戸らしい展示になっていました。
展示内容は、私が常日頃いちばんに推している、江戸を代表する、喜多川歌麿、葛飾北斎をはじめとする絵師による吉原図や春画から始まり、ジオラマで模した廓の様子でした。
人形町から浅草へ移設された新吉原での遊女の一日を歌麿の密着取材で記録された巻物で知る事ができます。
遊女は江戸時代のアイドルですので、大きく結った長い髪に、季節を感じる綺麗な着物は煌びやかそのものです。
一方、廓の中から見た遊女たちはいかにも美しくあるのですが、一歩外から廓を覗くように見てみると、格子に囲われ、更に新吉原自体もぐるっと溝と壁で囲まれたその様子に、背筋がぞっとする思いも交差して、なんとも言えない気持ちになりました。
地方から借金の身代わりに江戸に売られ着いた幼い少女たち。
10才になる頃には先輩遊女の付人である禿(かむろ)となって、殿方への"オモテナシ法"を学んでいく。
世間から見れば、美しく着飾った人気のアイドルであるのと背中合わせに、男に身体を売る女、貧困の田舎から売り飛ばされた女の子 という事実もあるわけです。
格子に囲まれた遊女たちの姿が、その全てを物語っています。
とはいえ、私も何冊か執筆した江戸の性愛や、インドの性愛の歴史、古代インドにおいて娼婦は政治の世界でも重要なポジションで、尊敬されており、才色兼備でなければならないなどという女史もあります。
実際に私自身、書籍出版後には、風俗店で働く現代の泡姫達が何人も会いに来てくれ、
「自分の選んだこの仕事を否定されなかったのは初めてで嬉しかったです」という言葉も沢山いただいたのも事実です。
外野にいる我々が、当事者でもないのに、分かったような気になって否定したり、肯定したりするものではないのだ。そこにも自らの志で立っている方がいるのだ。と、また一つ学ばせていただいた出来事でした。
さて、大吉原展のお話にもどりますと、どの浮世絵展に行っても欠かせないのが、やはり「蔦屋重三郎」の存在です。
“TSUTAYA”が、親族関係でもなく蔦屋重三郎から取られた名であることは有名な話ですが、蔦屋重三郎は現代においてもこれだけの影響を与え続ける江戸の名プロデューサーでした。
蔦屋重三郎は、主に浮世絵などの絵を主体とした書籍を販売する出版社を営んでおり、歌麿や北斎、写楽など今でも語り継がれる江戸の一流絵師達を次々と輩出。
特に春画には力を入れ、歌麿を廓に住み込みさせて作品作りに没頭させたなどとも言われています。
蔦屋重三郎は、吉原を舞台とした浮世絵を次々と出版。そのおかげで、廓の様子、太夫など上級遊女の美しさなど、新吉原の様子が一気に一気に世に広まりました。そしてもちろん、「春画」もです。
蔦屋重三郎は吉原で生まれ、吉原で育ち。
私は、蔦屋重三郎の気持ちになって、蔦谷重三郎の目線になるべく近づけるようにして本展示をゆっくり歩き見ていました。
もし、私が生まれ育った田舎を世間から馬鹿にされたら・・・。
もし自分が、例えば歌舞伎町のソープ街で生まれて育ったら、どんな気持ちで世間と戦って生きていくのかと想像してみたわけです。「普通」と見られないことは百も承知なので、自ら世間と戦っていかなければならないのですから。
「後ろ指刺されるような生き方している人間なんてここにはいねぇよ。ここに生きている人間たちは日々戦っているんだ。生ぬるい世間とは違うんだ。みんな粋(いき)と張(はり)をもって堂々と生きているんだ。・・・・」
「どうだ、ほれ、みんな吉原に魅了されてるじゃねえか。ほら見たことか。堂々と生きていけば、どんなお偉いさんだって、花魁の前では頭が上がらねぇよ。お侍だって刀を預けて(医師以外の何人も刃物を持って入ることは禁止されていた)吉原に来るんだ」
いかにも蔦屋重三郎になりきった私は、こんなことを心の中で呟きながら、大きく描かれた男性器と女陰、真言宗のお寺のように豪華でギラギラとした、真っ赤で艶やかに煌びやかに描かれた、荘厳に溢れた廓の世界に心を寄せていきました。
蔦屋重三郎は、自分の故郷を、「どうだ!これでもか!」とド派手に世間に見せびらかし、粋と張にあふれたエネルギー溢れる女性たちと、それに惹かれる廓の外の男たち(=世間)のパワーバランスの歪みに皮肉を込めて発信し続けたのではないでしょうか。
いつの時代も、アナキズムが芸術を爆発させます。
そして、世間はそんな反骨精神に憧れるものです。
廓の浮世絵、吉原遊女の美しい様に囲まれていると、
「俺たちはここで堂々と生きていていいんだ。毅然と生きていくことが俺たちの、吉原イズムなんだ」と、蔦谷重三郎からのメッセージが聞こえてくるようでした。
好きな場所、愛する人たちだからこそ、今も伝説として語り継がれる美しい作品として落とし込められているのではないでしょうか。
大吉原展は5/19迄の開催です。日本の芸術と女史にぜひ触れてみてはいかがでしょうか。